デザイン書道つづり

兎のように元気でいたいのですがホントは亀かも

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# 漢字の使われ方のはじまり
B使い方.jpg
右 トヨミケカシギヤヒメ 
推古天皇

左 オオヤマトネコアメノヒロノヒメ
持統天皇

漢字がどのようにして使われ 変化していくのか
興味深いですが ぼんやりとしかわかりません

女帝の推古天皇は 料理がうまいお姫様
持統天皇はオオヤマトネコ家のアマノヒロノヒメ
そんな意味なのでしょうか

天武・持統天皇のころから2文字の諡号で
大王から​天皇といわれるようになります

国家としての礎が築かれ その記録への構想が 
古事記・日本書紀として編纂されます

稗田阿礼が天皇の命を受け 語り継いだことを
太安万侶がまとめていきます

漢字も音を繋いだものから その場にふさわしい文字が
使われるようになります

それにしても長い名前
きっと長いのは重々しく 立派に見えたのかもしれません




 
| comments(0) | trackbacks(0) | 23:14 | category: 古代ヤマト |
# 漢字はいつ伝わったのか
漢字.jpg
一言では言えませんが 中国で生まれた漢字は
秦の始皇帝が統一 その後隷書体が普及し
やがては行書 楷書 草書などに変遷していきます

古代ヤマト講座から拙い学びで推測するに
日本で使われ出したのは 聖徳太子のころではと
思うのです

それ以前 紀元57年の漢倭奴国王の金印はじめ
石上神宮の七支刀 江田船山古墳の出土鉄刀
稲荷山古墳の出土鉄剣 に刻まれた文字の
漢字を理解したと思うのですが
文字の利用はほとんどなかったのではないでしょうか
利用しても 読める人も極々限られた人だったでしょうから

文字がない時代は 古墳も大きく
つまり大きさでその威容を誇ったのです

驚くのは縄文や弥生の時代から
大陸からの渡来人はあったし 
日本人も大陸に渡ったということです
勇気ある人は大昔からいたんですね

日本で最初に作られた書物 古事記や日本書記
これらも多くが渡来人の音博士 続守言や
薩弘格によって書かれます
漢字の使い方が難しく 音博士たちに
頼るしかなかったのかもしれません

国を仕切るにしても 暦がなかった当時は
渡来人を呼んで 暦を学びます
古事記や日本書記は 儀鳳暦 元嘉暦と
暦の使い方も統一されず
今 その解釈で歴史がいろいろ
塗り替えられたりもしています

奥が深い古代ヤマト
???だった昨年ですが
少しづつ身に付けたいです




 
| comments(0) | trackbacks(0) | 22:08 | category: 古代ヤマト |
# 古代ヤマトの魅力
ヤマト.jpg
この1月から 古代ヤマトの講座に通っています
古事記 日本書紀 万葉集が編纂された時代背景を
ひもときながら 講座はすすみます

奈良に住んで35年 筆仕事に携わり 万葉集の一つでも
描き表せたらという思いもどこかにあり 受講したのですが
とんでもないということを 感じています

里中満智子さんは「天上の虹」23巻を
3月に完成されたのですが その研究に35年
1,500冊以上の本に目を通され

古代史に興味をお持ちだった
講師のH先生は 定年後 古代ヤマトの
研究に入られ 今年で25年目

現地を実際に歩かれ 古代の人々の
ロマンをその場で感じながら 説明されますので
講座はとても面白く 超人気です


古事記712年 日本書紀720年に 上梓される
記紀(古事記と日本書紀)は
時の権力者の意向が大いに反映されます

それに比べ万葉集は 天皇 貴族はじめ 
役人や名もない防人までの歌も おさめられ
時代も長く 史料として奥深いことも知りました


日本に文字が伝わるのは5世紀くらいでしょうか
世界一の墳墓 大阪堺の大仙古墳 誰が埋葬されているのか
ミステリアスですが この時代文字がなく
権力者の威光を大きさで示したというのです

その後つくられる 墳墓は小さくなります
文字ってすごいなあと感じた瞬間でした


 
| comments(0) | trackbacks(0) | 21:33 | category: 古代ヤマト |
# 万葉の恋 見てた
ムラサキ.jpg
2015.5.15 読売新聞より

春日大社境内の萬葉植物園で
絶滅危惧種のムラサキが咲き始めました

5弁の可憐な白い花は 古くから自生
この根は 古代の貴族の服を 紫色に染めるのに
使われたそうです

万葉集の額田王の
「あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る」
まさしく紫野には このムラサキがあったに違いありません

タイポグラフィックスティー241号 
平成17年7月10日発行 熊野担当記事↓
あかねさす.jpg
日本タイポグラフィ協会では 関西中心のメンバーで
「フォントで詠む万葉集」を特集

モリサワさんから提供された
漢字1000文字くらいのフォントで
それぞれが 好きなうたを選び 
自分流の解釈をする↓という企画

「枕詞から茜、紫草野の紫、野から緑と、カラフルなイメージがあり、
同語の繰り返し、袖振るという動きで、大変明るく軽快です・・・」



古代ヤマト講座で学んだことですが
額田王は 大海人皇子の元妻でありながら
大海人皇子の兄 天智天皇の妻になります

いろいろな深い事情がありそうですが
この歌は額田30代後半で 宴席の余興で
明るくふざけて詠んだと 解釈されているようです




 
| comments(0) | trackbacks(0) | 23:28 | category: 古代ヤマト |
# 天理で7世紀前半古墳
石室.jpg
2015.4.28  読売新聞より

全長9.4メートルの 大型横穴式石室が確認され
一帯が古墳時代の豪族・物部氏の本拠地だったことから
物部氏の首長クラスの墓である可能性が高いと
天理市の市教委は発表されました

実は1〜3月にかけ古代ヤマトと万葉集の講座に
参加し 3月の終わりには大雨の中
バスツアーにも出席しました

その折 先生が何度も「ワニからフルへ」と
おっしゃるので??? と思いながら
そのワニとフルが耳に残っていました

この度の発掘で
この豊田町を確認しようと 天理市の地図を見ると
ワニもフルも出てきたのです

この天理市豊田町の北に 和爾町が
南に布留町が ありました
つまり この辺りは古代ロマンが詰まる
ミステリアスな地域でもあったのです

5月2日には現地説明会があるらしいのですが
きっと先生もおいでになるに違いありません


このゴールデンウィーク4年生になる孫が
明日香を訪ねたいと言っています
日本最古の道「山辺の道」を通り 
習いたての 最新の古代ヤマトの
4年生レベルの話できるでしょうか

受講して判ったことは 奥が深すぎ 
全貌に近づくことが無理ということ

発掘のたびに塗り替えられる歴史
古代にも魅力あふれる人々が
存在したという史実

聞き流しの受講生で 先生には 申し訳ないのですが 
とにかく楽しい! ワクワクします





 
| comments(0) | trackbacks(0) | 00:35 | category: 古代ヤマト |
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