# 若き日の父の文字
2016.09.21 Wednesday
法事で家族が集まり 孫やひ孫の希望で昔の古いアルバムが
持ち込まれました 右から2人目が父 台湾の小学校の教師でした
日本中が全て太平洋戦争に向かっていた時代です
板書の内容はともかく美しい言葉遣いと文字だと感心しました
戦後台湾から父宛に送られてくる手紙の言葉遣いが
美しく 不思議に思ったものですが 日本人によって
台湾の人にも教育がなされたのです
10年ほど前 初めての海外旅行が台湾でした
初めてということで日本語の上手なベテランの添乗員さんが
担当してくださったのです
日本の教育を受けたというRさんは
日本の植民地になる前は 台湾は未開の地であったと
当時の日本にもないような最先端の立派な病院や役所を建て
環境を整え 鉄道をひき 教育をしてくれた
戦争に負け日本人だけ本国に戻ったけれど
台湾人も一緒に日本に連れて行って欲しかった
その後台湾は混乱し 日本よりも30年も40年も遅れたと
台湾には日本語放送のTVが流れ日本の情報は一気に伝わります
Rさんは毎年のように日本に来られ我々よりも
日本通で驚いたものです
東北大震災の支援の輪はこのRさんの言葉の
全てで伝わりました
父は太平洋戦争中 台湾の青年を日本兵として養成する
特別練成所に移りました
晩年台湾の未来ある青年を戦地に送ったことを悔やみ
毎日神社やお寺にお参りをしていました
上の板書この毛筆共に40代の父の文字です
若くて勢いがあり娘ながら惚れ惚れと眺めています
父からよく聞いてた言葉ですが
男は字が上手くなくっていい! 書記ばかりやらされるぞ!