# 昔もあった書道甲子園 3
2010.06.30 Wednesday
6/28から続きます。
揮毫会の2〜3日前になると新しい筆で練習しました。
新品は毛先が効いて書きやすかったのですが
親に負担をかけてるなって、子供心に気掛かりでした。
校長先生が、筆の腰を巧く使えない子供の為に
1本づつキャップを切って筆の根元にきちっと
はめて下さいました。
また講堂に電灯を設備し、揮毫会前は
夜8時頃迄書いてたこともありました。
先生方の熱気はその地域中に伝わってた
でしょうね。
揮毫会の会場はいつも福岡市の大きな小学校でした。
当時、車のある家なんて一軒もありませんでしたね。
もちろんテレビもありません。
もちろんテレビもありません。
会場迄親子ともにバス、電車,乗り継ぎ
2時間近くかけて出かけました。
前日にすった墨を沢山ビンに入れ,他の書道用具
一式持参します。会場に入ると扉が閉められ
子供たちだけになります。
とっても緊張する時間でした。3枚の上半紙(和紙)が
配られるとドキドキ,心臓の鼓動がきこえるほどでした。
決められた時間内に3枚を書き上げると
付き添ってこられた担任の先生が
1番よく出来たなという作品を選んで提出され
そこで一気に緊張がほぐれた覚えがあります。
揮毫会のたび、同じ課題を何枚も何枚も
多分700〜800枚もしかしたら1000枚
だったかも。それはもう分かりません。
3〜4年生くらいになると団体優勝とか
準優勝とかを頂けるようになり、校長先生が持ち回りの
大きな優勝の筆を前に「みんな笑って!」と
記念撮影をした覚えがあります。
今の若者みたいに豊かなパフォーマンスや
Vサインみたいなのはなく,静かにニコニコだけ。
でもとっても嬉しかったですね。
6年生迄の間、この繰り返しでした。
当時の仲間で「書」に関わる仕事をしてる人は
誰もいないようです。
ですが、そこで学んだ繰り返し繰り返し
粘り強くやったという記憶は
何をやる上でも活きてるような気がします。
まさにそれは書道甲子園でした。
まさにそれは書道甲子園でした。