デザイン書道つづり

兎のように元気でいたいのですがホントは亀かも

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# 惹かれるサインに出合いました

 

サイン講座の資料

 

色々な文字で書きたいと思っていても 同一人物が

同じ台紙に 同じ筆で書くと ほとんどは

誰が見ても同じ人が書いたと

わかってしまいます

 

 

素敵だと思ったボールペンのサインを真似て

名前も変えて 小筆で私が描いたものですが

雰囲気だけです

実物を見ていただきたいのですが

連絡先がわからず 了解を得ることができません

 

 

先日工事に来られた方が 作業案内メモを

置いていかれました

サイン枠の中に ボールペンで書かれた名前に 

うっとりと見とれてしまいました

 

どなたが書かれたの?と尋ねると

屋外で工事をされるお兄さんだそうです

 

枠の中の空間処理といい 枠の下にちょっと乗っかるような

粋さに 感心してしまいました

「旨いわねえ!」

 

本当に旨い字でした〜〜

 

 

 

 

 

| comments(0) | trackbacks(0) | 12:51 | category: デザイン書道 |
# 鯛茶漬け

鯛茶漬

 

昨日夕方外出から戻ると 近所の方から

さばいた鯛をいただきました

 

娘さんのご主人 つまりお婿さんが釣り好きで

高じて海釣りでの収穫を 近所の方々が

時々しかも大量に 頂戴しているのです

時には魚市場に持ち込むほど大漁だと聞きます

しかもきちんと捌いてくださっています

 

昨日は急だったので とりあえず お刺身と

あら炊きをし それをお一人でお住いの方にも届けました

 

お昼ご飯は 鯛茶漬け

庭で育った青紫蘇が今出番で 活躍します

本来はここに熱々のお茶をかけるのですが

ゴマと海苔をのせそのまま いただきます

 

 

前日の鯛の刺身が大量でしたので 器に入れ

まず清酒をひたひたに注ぎ

30分〜1時間以上清酒に漬け込み 冷蔵

醤油(お酒より少なめ3割ほど)を入れ すりごまを加えます

 

ラップを密着させ 冷蔵庫で寝かせます

多分20〜30分もすれは十分

 

これが我が家に子供の頃から伝わる 鯛茶漬け

お酒で消毒になると 親は言っていましたが

科学的なことはわかりません

 

地元博多では同様のやり方で

新鮮な鯖でやれば ごま鯖

 

奈良に越してきてからは

とれとれの魚でなくても 現在の流通に乗った

新鮮な魚が手に入るので なんでもOK

 

現在は刺身の残りを同様に 利用します

 

庭の青紫蘇が 雨上がりで一番美味しい時期

紫蘇は今の時期 柔らかで香り高く

自家製の紫蘇を食べ出すと 他の紫蘇は口にできなくなります

 

付け合せはトマトサラダ これにも青紫蘇

玉ねぎはお隣の方の 家庭菜園の収穫をいただきました

 

素敵なご近所に囲まれ幸せです

 

 

 

| comments(0) | trackbacks(0) | 23:32 | category: デザイン書道 |
# 光明皇后をも魅了した欧陽詢の文字

古代ヤマト講座では続日本紀を中心に六国史を

学んでいます

 

国家珍宝帳(講座資料より)

 

聖武天皇追善のためその遺愛の品々を 光明皇后は

東大寺大仏に献納 その際の目録の一つが「国家珍宝帳」です

長さ14.7メートルにも及びます

 

毎年秋に開催される正倉院展はその献納された品々の

虫干しから 戦後始まりました

 

書かれた文字の書風は 隋唐を代表する書家欧陽詢の

スタイルをしっかり身につけた 当時名だたる書家の筆跡

「国家珍宝帳」の価値はこの筆跡の見事さだけでないのです

 

現在に残された宝物そのものはもちろん

献物帳によりその由緒来歴が明らかで

1300年後の今日まで大切に保存されて

いること 大変驚くべきことなのです

 

光明皇后の偉業!です

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

| comments(0) | trackbacks(0) | 23:38 | category: 書ヒストリー |
# 梅シロップを作っています

Syrup

 

庭の梅が少しばかり取れました 右の白いボールです

 

1〜2月の寒い頃たくさんの花を咲かせましたが

厳寒の中 蜂も出ず 受粉されず

わずか300gほどの収穫でした

 

近くのお店で梅1キログム

氷砂糖1キログラム購入し

シロップ漬けにしました

早く漬かるように 呼び水代わりに

酢を100ccほど入れます

 

大人だったら ワインとか焼酎を

ほんの少し入れると良いかもしれませんが

子供向けです

 

今日で5日目

うまくいっているようです

 

夏休みに孫たちと一緒に

氷水を入れ飲むのが楽しみです

 

つけた梅は種を取り

煮詰めてジャムにします

ジャムは少し癖がありますがクエン酸いっぱい

シャキッとします!

 

カレーのチャツネ代わり入れたり

ヨーグルトのトッピングにもします

 

 

 

| comments(0) | trackbacks(0) | 21:38 | category: デザイン書道 |
# 紫陽花 いりませんか

紫陽花

 

梅雨入りしたというのに カラカラ天気がづづき

紫陽花にとっては かわいそうな晴天です

 

夕方水やりをすると 元気を復活し

きれいな花を咲かせ続けています

 

これは洋種の紫陽花 アナベル

 

満開になると真っ白で高貴さを漂わせます

 

近年花を咲かせても 生けることもなく

友人を呼んで お茶をすることもなく

誰にも愛でられず 季節を終わらせるのは

花にとってかわいそうだと思ってました

 

先日から 女性の訪問客があるたび

「お花いりませんか?」と声をかけます

 

昨日は仕事で 点検に来られた方に

お勧めすると 控えめながら力強く

「いただきたいです!」と言ってくださった方があり

大急ぎで水切りし 氷水につけたキッチンペーパーに

包み たくさんお持ち帰りいただきました

 

でもまだたくさん咲いています

 

 

 

 

 

 

 

 

| comments(0) | trackbacks(0) | 15:25 | category: デザイン書道 |
# 元号

元号

 

天皇陛下の退位を実現する特例法が成立しました

 

元号とは特定の年代に付けられる称号で年号とも

呼ばれます

古代ヤマト講座では 六国史を学んでいます

 

奈良時代 平城京遷都(710年)の前後は頻繁に

年号が変わっています

 

来年の夏頃新元号が公表され

2019年1月に改元され

3月31日をもって平成天皇は退位されると

新聞でスケジュールが想定されました

 

日本の象徴として 皇后様とともに

おやさしい笑顔で 国民に寄り添ってこられました

これからは ごゆっくり のんびりと

お過ごしいただきたいと思います

 

京都では昔のように 両陛下に

京都におかえりくださいと 署名活動がされているようです

 

 

昭和から平成に変わる頃 

賞状を書いていました

昭和天皇陛下の ご容態が危ぶまれた昭和64年1月 

100枚くらいの賞状の名入れを預かっていました

元号が変わるかもしれないということで

元号の箇所が印刷されないままでした

 

確か1月7日だったでしょうか 陛下が崩御され

翌日8日から「平成」という元号になりました

日付の一番上に「平成」の元号を書き入れ

慌ただしく納品したことが思い出されます

 

それ以来いろいろな書類に 世界共通の西暦表示が

多くなったような気がします

 

 

 

 

 

| comments(0) | trackbacks(0) | 23:22 | category: デザイン書道 |
# 「神宿る島」沖ノ島の世界遺産登録へ

宗像

 

小学校の同窓会が開かれたと 同級生から

写真が送られてきました 昔の面影が

かすかに残る人もいますが 街中で会っても

見つけることができるでしょうか

 

宗像は故郷 今そこでは

「神宿る島」沖ノ島の世界遺産登録へと

関心が集まっています

 

イコモスの見解では 沖ノ島と付属する三つの岩礁

のみの勧告ですが 宗像三女神をまつる

宗像大社沖津宮(沖ノ島)

宗像大社中津宮(大島)

宗像大社辺津宮(へつみや 本土の田島)とは

切り離せないと 地元では思っています

 

また三女神を奉斎した胸形君の墓とされる

新原・奴山古墳群の登録も願っています

この近くに私たちが通った小学校が今もあります

 

 

以下 2017.5.17 読売新聞記事よりの写真

玄界灘に浮かぶ 孤島「沖ノ島」

 

 

黒い・が沖ノ島 

 

地図ではほとんど見えない島です

古代 情報のない時代 大陸との往来で 

この島を見つけた船人の感激が 伝わってきます

 

年に一度だけ 海で禊をした人が200人ほど島に

上陸できます もちろん今でも女人禁制

 

沖津宮の社殿周辺は 戦後行われた発掘調査で

古代祭祀の奉献品約8万点が 手付かずの状態で発見

国宝に指定されています

島は「海の正倉院」と呼ばれています

 

 

7世紀 大海人皇子(後の天武天皇)と

宗像の 胸形徳善の娘尼子郎女との皇子が 高市皇子で

奈良と繋がってきますし 奈良には縁と思われる

宗像神社があります

 

大海人皇子も 名前からして海人で

胸形氏も 当時は海上を取り締まる

海人(水軍)であったのです

 

 

 

 

 

 

| comments(0) | trackbacks(0) | 16:22 | category: デザイン書道 |
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